祝!50投稿目(=゚ω゚)ノこれからも世の中の悩みをキッカケ1つで”再活性化”していきます(。-`ω-)‼
お疲れ様です!
執筆者の「A」です(=゚ω゚)ノ
お陰様で本投稿で記念すべき50記事を達成する事ができました( *´艸`)
いつも応援して下さる方、また読者登録をして頂いてる方、本当に支えて下さりありがとうございます<m(__)m>
これからも”相談者と歩んできた人生相談の軌跡”をこうして皆様と共有していけたら幸いです(=゚ω゚)ノ
数多くの悩みに、たった一つのキッカケとなれるようにより一層精進して参ります!
さて、そんな本日は悩みランキング上位に必ず入っている人間関係の悩みから、
「他人からの見られ方」が気になりすぎてどうにもこうにも人生が生きにくくてしょうがない!
そんな悩みについて書いていこうと思います(=゚ω゚)ノ
「自分らしさって何ですか?」
「なんで決めつけられてしまうのでしょうか?」
「私は本当にそんなに価値が無い人間ですか?」
他人の評価を気にしすぎてしまった結果、自分の人生がコントロールできなくなってしまった相談者たちとのキッカケ探しの旅の軌跡をご紹介していきます!
1.なぜ他人の評価ばかりを気にしてしまうのか?
本来は誰しも「自分らしく生きていきたい!」と思っているはずなのですが、
「〇〇さんにとっての自分らしさって何ですか?」と聞いてみると実際の返答は
「私らしさって何なんでしょうかね?よく解らないです…。」という返答が返ってくる方がほとんどです。
悩んでいる事は間違いないのですが、その悩みの基が見えなくなるほど相談者は自分の事が理解できていません。
私もよく「他責」について書いてきましたが、意図的に他責にしているのではなく自分自身を見失ってる方にとっては原因を外にしか向けられない状態なんです。
”原因を自分に向ける事ができない”というのは一見、自分勝手で非を認めない意固地な人間に見えがちですが、ことの本質はもっと深刻で、自分を見失ってどうしようもない状況まで消耗してる場合もあります。
・意図的に他人に責任をなすり付ける行為→他責
・無意識に原因を外部からしか認識出来い→??
ここには大きな違いがあります(/ω\)よく注意をしていても
「はぁぁぁ…( ゚Д゚)」というようなリアクションがかえって来る人がいますが、これは天然な場合もありますが、頭で認識が出来ていない状況でもあるのです。
(例)
・ゴミ出し当番でゴミを出し忘れてしまった場合
→なんでゴミ収集車は私が当番の日にゴミを置いていってしまったんだろう?
・作業中に居眠りをしてしまった場合
→あれは居眠りとは言わない、少し目を閉じていただけなのに瞬きも出来ない!
え⁉そんな事あり得るの( ゚Д゚)っと思うかもしれませんが真実です。
そしてもちろん本人には悪意も悪気もないのです。
この状態でいくら話をしたり、注意を続けたところでほとんど”無意味”です。
原因は幼少期からの成長環境にあります。
実際に相談者の方の原体験を掘り下げていくと次のような返答が得られました。
↓↓↓↓
「家が厳しくて、親の言う事に歯向かう事が出来ませんでした」
「失敗をしたら叩かれてました、叩かれないように行動してました」
「学校の先生に相談したけど、まったく話を聞いてくれませんでした」
共通している事は、判断基準が全て
本人の意思が置き去りになってる
事にあります。
いつも当事者間で話は終わってしまい、被害者である者の見えないところで問題は勝手に解決したり決めつけられたりしていく事は多いです。。
先日、私も娘が幼稚園のお遊戯会で友達?にツバを必要なまでにかけられている光景をみました。最初は「子供の戯れかな?」と思っていましたが、逃げる娘に追いかけてまでツバを吐き続ける姿にさすがに「おかしい!」と思い意見をした事があります。
その時でさえ子供同士の話ではなく大人や教員がでてきて
「保護者の方からもきつく注意したようです。」
「今後同じ事が起こらないように注意します。」
「相手のお子様も反省しているようですので…」
と、被害者である娘を置き去りにして話は見た目だけの解決を迎えようとしたので
「当事者であるお子様と、被害を受けた娘はどう言ってるのですか?」
と問い詰めたところ、当事者のお子様は「興奮していたから」との返答が得られただけでした。
上記のように、表面だけの問題解決をしようとする日本のその場しのぎ主義に苦しめられてる人は少なくはありません。
間違いなく、一方的な解決は本人の経験になりません。むしろ納得をせざるを得ない状況の強要にしかなっていません。
頼った先(親、友達、先生、上司など)がその場凌ぎで対応する事で、その相談者は善し悪しの尺度を失います。
その繰り返しが、判断基準を奪い、結果的に物事を目の前で起こった端的な捉え方しかできなくなっていくのです。
そのまま大人に成長すると、判断基準は他人から一気に”自分”にシフトします( ゚Д゚)
これまでさんざん自分の主張を”その場しのぎ”で扱われてきたのに、ここにきていきなり「あなたの意見を持ちなさい!」と言われても理解ができません。
結果、判断を自分では出来なくなり、他人の尺度や評価を常に気にしながら生きていかなければならなくなっていくのです(/ω\)
2.判断が出来ないと委ねるしかないという絶望感
上記のような人材を社会は
・社会の不適合者
・判断能力がない
・空気が読めない
・使えないゴミ虫
と更に決め付けで判断をしてきます。私自身もそれを「全悪」というつもりは毛頭ありません( ゚Д゚)むしろ私ですら思う事は多々あります(/ω\)
ただそこだけで判断してしまっては本人を更に追い込む事にしかならないので、やはりここでも「傾聴」する事は大切だと思います。
幼少期から刷り込まれた”意識レベル”の行動は”能力”とは全くの別物です。
それを頭ごなしに否定されては心が辛くなるのは当然です!仮に上司や友達や同僚から
「お前本当の顔見てるだけで不愉快だから消えて!」と言われたらどうでしょう?
顔は生まれ持った”素材”です!その素材に能力を全否定されたらどうでしょう?私なら傷しかつきません(T_T)/
自分で判断ができない…というのは想像以上に苦痛です。本当は自分で決めたいのに頭の中にその情報が無いのですから。結果、相手に判断を委ねる事しかできないのは無免許の運転手に人生を預けるようなもの、すなわち「安心できる時間が無い」という事です。
3.出来ない!知らないは悪い事じゃない!
情報が”無い”だけなので、情報をインプットしていってあげればいいだけです。
ただそれを周りは
・そんな時間は無い!
・そんなお金は無い!
・そんな余裕は無い!
と切り捨ててきます。経験者でちゃんとできてるあなたに余裕が無いのだとしたら、
未経験で未開拓な地にいる新入社員や相談者はもっと余裕がありません( ゚Д゚)
それすら忘れて、他責にしている人が多い会社なのであれば即刻離れた方がいいのかもしれません…。
人材不足といわれる中、せっかくご縁があって巡り会えた人材を大切にする事ができない組織は今後間違いなく淘汰されていきます。
それならば、自己が”再活性化”できる人物や、仲間がいる環境に身をおいた方が圧倒的に有益です(=゚ω゚)ノ
後になって必ず
「あの組織にしがみついていなくて良かった( ;∀;)」と思い返せる日がきます(。-`ω-)
大切なのは、自分が言いたい事を言ったときに、相手の方が達者で合わせざるを得ない状況を作ってしまうこと…(/ω\)
自分の中に信念が宿ると、その一つひとつが自分らしさになっていきます(=゚ω゚)ノ
「自分自身」との出会いが、発言をただの「否定」ではなく「意見」に変えてくれます٩( ''ω'' )وそうする事で、例えその場で意見がぶつかる事があっても、他者の反応に怯えることなく自分を信じてあげる事ができます(=゚ω゚)ノ
※「自分自身」と出会えた私はもはや天にも昇る気持ちだよ( *´艸`)の図
今は出来なくても、出来るように一度でもなってしまえば自信になっていく٩( ''ω'' )و
このサイクルにハマれば、これまで知らなかった自分の様々な一面が見えてきて、いつのまにか自分が大好きになってますよ(。-`ω-)
一人で悩まず、迷った時や吐き出したい時はご相談ください( *´艸`)
私たちでよければ、眠った可能性をキッカケで1つで再活性化していきますよ!